Komaki Castle Records -コマキ キャッスル レコーズ- は、現在準備中です。

2020/05/14 11:28

1972年11月、「レット・イット・ロック誌」でジミー・クリフはインタビューを受け、その際に記者から難問を突き付けられます。
その問いかけは「なぜジャマイカからは国際的なスーパースターが生まれないのか」というものでした。

ジャマイカは当時世界の中で、唯一ロックンロールにダンスのリズムを取り入れた、レゲエというものを世界に発信していたにも関わらずです。

この言葉にハッとしたクリフは混乱を抱き、フラストレーションを感じます。

ここで自分の実力というものを世界に対してどのようにアピールするべきなのかを模索し始めます。

ここでクリフが思ったのは映画「ハーダーゼイカム」に出演することによって既にその地位というものを確立しているではないかという考えです。

クリフはジャマイカのセント・キャサリンで、ジェームスチェンバースとして生まれます。

母親を知らずに育ったと言います。

ところで、レゲエに影響を与えたのはトリニダードの音楽であると言われています。

その一つがカリプソという音楽です。

これは20世紀に始まった、カリブ海の音楽スタイルです。

カリブ海というのは映画「パイレーツオブカリビアン」で見る事も出来ると思いますが、

アフリカ大陸の最北とハイチの間に広がる海です。

ここの土着の音楽でした。


カリプソというのは4分の2拍子で展開される音楽です。
これはレゲエにも取り入れられているリズムです。

リズムを分かりやすく言葉にすると「ウンチキボーチキウンチキボーチキ」。
これを言葉に出してみてください。

レゲエを聴いてみるとこれが取り入れられていることが分かります。

カリプソもそうなのです。

試しに上に掲載した動画を再生してみてください。

このリズムが取り入れられていることが分かります。

観光客を相手にしてパフォーマンスを行う、ジャマイカのコメディアンやフォークソングを歌う人たち
が取り入れていた音楽です。

どんな事を歌っているかというと

私がトリニダードを下ったら、
みんなとっても喜ぶわ
カリプソでメイクアップしてリズムを歌うの

あなたが良い一日を過ごせることを約束するわ!
ラムとコーラ
母親と娘は
アメリカ人のお金の為に働いているわ!

ビートを刻んで!
アメリカ人がトリニダードに来たから
何人かの女の子は狂ってしまったわ!

何人かの女の子はチカチカリーからモナ諸島(プエルトリコにある島)
ネイティブの女の子はみんな踊って笑っている
兵隊に尽くして彼の出発を祝っている
毎日を大晦日みたいに過ごしているわ

ラムとコカ・コーラ
クーマナーを下る
母親と娘は
アメリカ人のお金の為に働いている!

ボドウビダブ
トリニダードの女の子ってとても素敵
彼らは私を一日昼夜をかけて外に連れ出すの
GIは良い風に扱ってくれていると話すわ。

ここから分かるようにトリニダードでの生活というものを歌っています。

クリフが歌手活動を開始したころにはカリプソというのはアメリカのブギ、ブルースに
とって変わるところでしたが、ブギがジャマイカに輸入され、「スカ」と呼ばれるようになります。

「スカ」とは日本では東京スカパラダイスオーケストラでもおなじみかもしれませんが
レゲエのギターのカッティングリズムを高速シャッフルした音楽です。

当時なんと国をかけた政策としてスカの輸出がありました。

フェデラル・レコーディング・カンパニーのケン・コーリーだけがスタジオを所有しており
ここに当時14歳のジミークリフが出入りしていました。

1962年に南米を台風が襲った時に中国系ジャマイカ人のレスリーコングがプロデュースを行い、
ここでクリフは2枚目のレコードの録音を行います。

以下にクリフのインタビューを掲載しています。

レスリーコング

インタビュアー: いつレスリーコングと知り合いになったんだい?そしてどうやって音楽業界に入っていったのかな?
Cliff:ある日僕はレスリーコングが所有する、レコードショップの前を通りがかったんだ。その店はベバリーズという名前だったよ。
その時にひらめいたんだ。もしベバリーという楽曲を作ったら彼らはレコーディングしてくれるかなって。
10分で曲を書いて翌日店を閉めているときに持って行ったんだ。当時そこは3人の兄弟が経営していて、レストラン、アイスクリーム屋さん、レコード屋さんが全部一緒になっていた。でも、3人の兄弟は気に入らなかった。でもコングだけは笑わなかったよ。
それで決まりさ。レスリーコングは亡くなるまで僕のプロデューサーになってくれたんだ。
インタビュアー:レスリーコングはどんな人物だったかについて聞かせてもらえる?
Cliff:レスリーコングっていうのはとにかく、どうやって人と繋がるかってことにかけて良いセンスを持っていたんだ。
そしてアイデアで満たされていたんだ。そしてリズムはどうあるべきかって言うのも知っていた。
彼は僕自身、デズモンドデッカー(別のレゲエ歌手)、ボブマーレイ(レゲエの神様)だから彼らはとても大きな影響をジャマイカの音楽業界に残したんだ。

イギリスでクリフは私生活と音楽生活で地に足がつくようになるまでかなりの時間がかかったと言います。
昔ドーバーで迷子になった時、来る日も来る日もフィッシュアンドチップスだけを食べて過ごしていたと言いますが。

この時に「メニーリバーズトゥクロス」を書きあげたと言います。

実際「Wandering I am lost as I travel alone white cliffs of dover」という一説が出てきますが
これはその時のことを書いているように見えます。